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前回は生物人類学者の多くが近交弱勢を主張していること、それに対していくつかの反論がなされていることを紹介しました。今回はそれらの内、三つ目の反論についてみていこうと思います。三つ目の反論とはすなわち、近親性交をフロイト的な精神医学の観点からのものです。

フロイト的に近親性交をみるのならそのイメージはオイディプス的様相を帯びてきます。彼が考えた近親性交の起源はダーウィンが唱えた「原始ホルド」にあります。
この話では太古には強権的な父による女の独占があったと仮定します。つまり父が母、姉妹を囲っていて兄弟達(息子達)はそれを脇で見ているしかなかった。あるとき兄弟達は父を殺し、父の死肉を喰った。しかし悔恨にかられた兄弟達はある取り決めをした。それが「今後は誰か一人が父の座を独占しないようにし、母や姉妹の占有を許さない。」というものでした。これが結局近親性交の掟になり、ひいては禁忌になったということです。

この話のエッセンスは「男たちの女たちを占有することに対する断念」です。兄弟達による姉妹占有の断念のことです。そしてこれが異なる親族間での「女の交換」を形成し、外婚制につながったということです。
理由は難しくないはずです。近親性交の禁忌がある社会では男が女を得るためには、近親の女性と交われないのだから、他の男から女を譲渡されることを待つしかないのです。これは「配偶者の女性の授受」であり「交換」が親族構造を形成するという意味なのです。

ここで私たちはある1人の思想家を思い起こします。それはレヴィ・ストロースです。こういった女性の交換から「関係の生成」を説いたのが彼だからです。
しかし注意しなければいけません。今までの説明してきた「兄弟達の断念」とそれによる「女の交換」は、フロイトの原始ホルド(オイディプス心理)から導いたことに。

確かに一見すると両者は「女の交換」という同じ結論に辿りついたかのようです。しかし実際そのかれらの「交換」は全く性質の違うもの、むしろ対照的なのです。

つまりざっくりいうと、フロイトのいう「女の交換」は父との関係が先行条件になっている一方で、レヴィ・ストロースのものは女性を介した複数の男性関係が必要なのです。
そしてそれはお互いの「交換」を、前者では「(女を)独占してはいけない」という禁止命令から導いているのに対して、後者では「交換せよ」という肯定的命令から導いているともいえるのです。

話が拡散してきましたし、何より私のレヴィ・ストロースに関する理解が極めて浅薄なのでこれぐらいにします。
まあ今回は、近親弱勢への反論→フロイト的なアプローチ→レヴィ・ストロースとの交差点→両者の対照性みたいな流れでした。

最後に念のために。
―以上の内容は「近親性交とそのタブー」~文化人類学と自然人類学のあらたな地平~(川田順造編、藤原書店)の渡辺公三氏による「幻想と現実のはざまのインセスト・タブー」の読書メモです。口調がまるで自説のようですが決してそうではないです。あくまでメモです。―


近親性交とそのタブーを読みました。文化人類学と自然人類学(霊長類学)の両サイドから近親性交を考察しています。シンポジウムをまとめたものです。

早速ですが生物人類学者の中では見解は大方一致しているみたいです。
「近親性交により生まれた個体は遺伝的に劣っている。そのため結果として近親性交を避ける個体の方がより多くの子孫を残していった。」と。これに関する反論もあります。

・近親性交は一般的に婚姻の時期を早める。つまりその分より多くの子孫を残すことができるのじゃないか?
・ローマ属州下のエジプトでは6分の1が全血の兄弟婚とのデータもあり。
・今でも近親性交は表層下では起こっている。
などです。一番目は生物的な反論です。二番目はデータの扱いが難しいです。三番目が漠然としていますが、その出所はフロイト的なオイディプス心理などでしょうか。(それだけじゃないでしょうが)

・・・今日はこのぐらいにします。
  
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