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2ちゃんはごみだめって聞いたことあるけど、いつの時代も社会の「ごみ」というか「汚れた部分」の総量はそんなに変わらないだろ。

「ごみ」の量が増えたとでもいいたいのかよ。

あと2ちゃんの匿名性をことさらにあげつらうけど、人間群れれば必ず「匿名性」がどこかしら生じるだろ。

確かに2ちゃん(ネット)が匿名性が強いの事実。だけどその強さよりも、形態(性質か?)の新しさについて論じた方が未来的。

昔から「人間群れると何するか分からない。」ものだろ。

10人集まる→いじめ
100人集まる→村八分
1000人集まる→戦争
10000人集まる→虐殺
100000人集まる→環境汚染
6000000000人集まる→地球が危ないwww

そんなに匿名性が嫌なら、お前が消えろよww
少しは貢献できるぜwww
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FPN-モバゲータウンは次世代のミクシィになるのか?
まなざしの快楽~「合理化のジレンマ」の章 - モバゲータウンはなぜ薄気味悪いのか

今巷で話題のweb2.0的錬金術「モバゲータウン」についての考察です。その狡猾なシステムや経済的効用については言及せずに、アバターと身体感覚の関係から考察していきます。

まずアバターに反映されるのは、(ことさら容姿に)多感なティーンの理想の身体像でしょう。彼らの変身願望をそれぞれのアバターは一身に背負ってくれる。

そこで健全な若者は気付いているはず。「戯れは戯れ。現実は現実。」と。

しかし自意識と自己愛が過剰な若者はどうでしょうか。往々にして彼らは自分の身体に汚れの感覚をもっている。自意識と自己愛はいつもその人に理想を志向させるからです。

一方アバターには汚れはない。自分が本当に愛することができる身体がそこにはある。

しかもその身体がある場所は、決して従来のゲームなどと違い、他者との関係性が存在する、逆説的にオープンな場所です。アバターによる身体感覚はその関係性により、ますます確固たる、信頼できるものになる。

モバゲーが直メールやオフ会を厳禁していることがこれに拍車をかけます。現実から隔離されたクローズドな世界としての独立性を維持できるからです。

これら一連の状況が何をもたらすか?それは現実世界における身体感覚の曖昧化です。

モバゲータウンで一日中「暮らし」ているわけではないでしょう。だから現実での身体感覚が喪失とは考えにくいです。むしろぼやける感じです。

この曖昧化は単にその人の身体感覚だけに及ぶものではないでしょう。身体は常に世界に「隣接」、いやむしろそれにぴったりと「張りついて」います。そのため身体の曖昧化は、次第にこっちの世界をぼやけさせ、ついでに「こちら」と「あちら」の境界線をも曖昧にするでしょう。

ただこれはよく言われていることですね。現実と非現実の混同という風に。

しかし真にモバゲーが恐ろしいのは、従来と違い、それらが混同されても、なお非現実、「あちら」の世界は自己完結的な関係性を抱え込んでいるために、世界の曖昧化を拒むことができるということです。言い換えればクローズドで独立したモバゲーは、いまだに各人の強固な身体感覚で維持されているのです。

つまり現実での生活がぼやけてきても、対照的にモバゲーではその人の意識は―その身体感覚とともに―明瞭なのです。DeNAという会社が作ったマテリアルによるハンドメイドの身体とともに。
私はたまにクラブで、まさにこれこそ人間の原始の姿だ、と思う行為を目にします。

それは男女のペアが、バックや立位を彷彿とさせる形で、一心不乱に踊っている姿です。

卑猥な話ですが、とにかく腰の動きと体全体の揺れが激しいです。動画を撮ってyoutubeにアップしたら結構なPVを稼ぐかもしれません。

ここでこの行為を考察するに必要な条件を挙げてみます。

①音楽について
音楽は四つ打ちのテクノからハウス。但し歌もの、メロディアス、情緒性の強いものはダメです。硬質なプログレッシブハウスや、これまた硬めのテクノがよさそうです。メロディーは単純なものがいいです。(揺さぶるのは感情ではなく本能と身体)
トランスは高揚感が強いのですが、原始性に乏しく微妙です。サイケの方がよさそうですが、あまりBPMが速すぎるのはダメです。
あとレゲエはうってつけかも知れませんが、私自身詳しくないので言及しません。

②薬物使用について
エクスタシーなどの薬物を使用すると「行為」に及ぶ確率も大幅に上がり、行為もよりダイナミックになるでしょうが、ドラッグ無しでも十分見受けられます。そう考えると必要条件ではないはずです。

③意識的な愛情表現?無意識の原始回帰?
本人がこれを意識してやっているかどうかに関してです。もし意識していたら、単なるパフォーマンスの一つで価値が無くなります。「いつもベッドでやってることよ」ではイタい二人の描写に過ぎないです。
だからこそ要ヒアリングです。これが一番肝心ですよね。もちろん私としては彼らが無意識に無我夢中でやってくれているのを期待します。
昔小学校や幼稚園で言われませんでした?
「X君はYさんのこと好きだからいじめちゃうのね。本当は好きなんだからやめなさい。」って。
これは文字通り人間には好きな異性をいじめちゃう傾向あり、ってことを言っています。(私は男なのでどうしても男性視点ですが。)

どうでしょうか?私は当たっていると思います。

理由は相手への支配の契機になるからでしょうか。

或いは相互の関係性の問題でしょうか。いわば相手と自分を加虐ー被虐という「不徳」の関係に置くことで、その関係性を楽しんでいるみたいな。(ある意味「不徳」は親密さの裏返し。)

それとも全ての人間が、各自強弱はあるが、根源的な性的サディズムをもっているからなのでしょうか。(その場合は「人間は神と悪魔の相の子なのです。」みたいなことしか言えない。)

あと単に相手に構って欲しい、自分の存在をより強く意識して欲しいからでしょうか。(一番納得できる?)

ところで二つ目のとこに書いた「不徳と親密さ」ってなかなか興味深いような気がします。(手前ミソですが。)
世の中には愛情飢餓の人がたくさんいます。原因は色々でしょう。幼年期の親の愛情不足とか、強烈な自己愛の裏返しとか。

そんな人は概して愛情に対して貪欲です。もちろん日常生活ではそんな素振りは見せない人も多くいます。ただ一度この人に愛されたいと思ったらその求愛は強烈です。まさに相手の愛を貪るのです。

イメージとしては「いつも私のことを想っていて欲しい。常に私があなたの世界の中心であって欲しい。」でしょうか。 彼らにとって例外はありません。
「今夜は忙しいからあなたに構っている暇はないの。分かってちょうだい。」と言われようものなら、彼の内で彼が崇拝する女神像は音を立てて崩れていきます。代わりに生まれるのはスラム街の狡猾な娼婦像でしょうか。だけど彼は彼女に失望や憎悪の言葉を投げかけた後またすぐに戻ってくるでしょう。彼は文字通り彼女にのめり込んでいるのですから。

しかし彼女がこうした「健全な」態度をとるといつもこれなのです。 最初の内は「彼が私を愛してくれている証拠だわ。」と思っていても、やはりいずれは彼の頑固で偏狭な愛に疲れてきます。そしてそのことを彼に口にしても…

ここからはもはやホラーの域だったりします。どこまでいくのか?
お互いが疲弊して生活にかなりの変調をきたすところまで繰り返されるでしょう。もちろん彼女が聡明で要領のよい人ならばそれに越したことはありませんが…
  
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